中島みゆきとその家族とは?/皇族まで遡るって本当⁉︎

女性芸能人

 

はじめに

こんにちは、皆さん。

今日は日本を代表するシンガーソングライター
中島みゆきさんとその家族について
お話しようと思います。

 

中島みゆきさんの歌といえば知らない人はいないほどで
テレビドラマの主題歌やCMソングにも多く使われています。

 

でもその素顔は常にベールに包まれていて
深く知る人は少ないのではないでしょうか?

 

中島みゆきとは?

中島みゆきプロフィール

本名 中島 美雪(読み同じ)
誕生日 1952年2月23日
出身地 北海道札幌市
学歴 藤女子大学文学部国文学科 卒業
活動期間 1975年 –

 

「失恋歌の女王」と形容される中島みゆきさん。
私自身みゆきさんの歌を聴きながら
何度涙を流したか分からないほどです。

 

また中島みゆきさんの曲には、日常風景を行き来する男女や
働く人々にスポットライトを当て
その心情を巧みに曲にのせる歌詞が印象的です。
それは聞き手によって異なった意味を
受け取ることができます。

 

中島みゆきとその家族とは?

父:眞一郎。北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で
  中島産婦人科院長。 
  1924ー1975 脳溢血のため51歳で他界。

母:典子。体が弱く、一時期実家で療養していた事もあったとか。
  山形美人でみゆきさんは母親似だそうです。
  1929ー2014 85歳で他界。

本人:美雪。1952年生まれ。

弟:一朗。1955年生まれ。
  現在板橋中央総合病院の臓器移植センター長を勤める。

 

中島みゆきさんはデビュー直後の若干23歳の若さで
父親を亡くし、その後大黒柱として家族を支えながら、
しかも弟さんを医学の道へ進ませたという…

 

生まれ持った才能の上にたゆまない努力と
普通の女性では経験することがないような
苦労もされたのだと思います。


だからこそ人々の心を震わせる歌を
作る事ができるのでしょうね。

 

次の章では皇室まで遡る中島家の家系図をお伝えします。

 

皇族まで遡って本当⁉︎

中島みゆきさんの家系図をたどっていくと、
華族や財閥との繋がりがあったようです。

父方の祖父は帯広市議会議長などを務めた中島武市氏。

先祖は岐阜の大垣藩士。

そして祖父の叔父(母親の兄)に、大蔵次官で男爵の
郷純造(ごうじゅんぞう)という人がいました。

男爵とは華族を意味します。

そして四男を三菱財閥を創業した岩崎弥太郎(いわさきやたろう)さんの
養子にしたという事です。

昔は養子縁組ってよくあったんでしょうね。

四男の娘・岩崎君子(いわさききみこ)さんの嫁ぎ先で
義理の姉となった高木邦子(たかぎくにこ)さんの
次女・百合子(ゆりこ)さんは、
三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)親王に嫁ぎました。

崇仁親王は、昭和天皇の弟にあたる人です。

このように中島さんの実家をたどっていくと、
皇族まで遡りました。

素晴らしく華麗な一族ですね。

 

まとめ

中島みゆきさんの家系図を紐解きましたが
それ以上にみゆきさんの人生に寄り添った歌詞は
多くの人々に感動を与えています。

 

これからの益々の活躍をお祈りしたいと思います。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました